読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

うどんチャネル

いろいろ精一杯

映画感想(ネタバレ注意)

映画の「ティファニーで朝食を」を観ました。
昔ちらっと見た「ムーンリバー」のシーンからほのぼの恋愛映画かなと勝手に想像していたのですが、実際観てみて苦しい過去を背負いつつなんとか生きている主人公ホリーの葛藤がメインの映画のように感じました。想像していたよりずっと見応えのある映画でした。

その中で印象的だったのがポールの「自分からは逃げられないんだ」という台詞です。(メモとってなかったのでうろ覚えですが)
どこに行っても、どんなに環境や人間関係が変わっても自分と向き合っていかなければならないんだと いう当たり前のことを改めて思い知らされました。
この台詞はポールがホリーに言った言葉ですが、ポール自身にも言い聞かせてたのかなとも思いました。

他にもドクがホリーをルラメーとして迎えに行くとことかすごく考えさせられたシーンいっぱいあるのですがうまく言葉にできないのでもう一回観たいです。

あと猫ちゃんめっちゃ可愛かったです(*´ω`*)

出来ることと出来ないことってつながってるの?

ピアノを習ってたとき、私は全然練習しない子でコンクールの一週間前から本気出すとかそんな感じでした。練習は嫌いじゃないけど何となくやる気が起きない。ちょっとやったくらいじゃどうせできるようにはならないと思ってました。そんな私にピアノの先生は言いました。
「あなたは一階から二階に上がるときに階段を一段ずつ上がるよね。一気にジャンプして二階に上がれないよね。ピアノもそれと同じ。毎日5分でもいいから、できることを毎日やってごらん」
私は意味がわかりませんでした。
できることをやってれば出来ないこともできるようになる?それも一日たった5分でいいの?無駄じゃない?
結局、私は練習するようにはならず、まもなくピアノを辞めました。

ピアノを辞めてからも、ピアノの先生が言っていた「できることから少しずつ」という考え方は理解できず、何でも一足飛びにやろうとして空回りをし続けました。今まで生きてきた人生だいたい空回りです。

最近体力が落ちてきて空回りする余力もなくなってきて、「理解できない」と言って逃げることもできなくなり、このピアノの先生の言葉について考え始めました。

出来ることと出来ないことってほんとにつながってるのかなあ。つながってないのを自分の力でつなげていくのが努力なのかなあ。

このブログの目的

こんなてきとーなブログなのにスター、読者登録ありがとうございます!嬉しいです!


このブログでは、 主に2つの目的で記事を書いています。

・自分の考え方をあとで客観的に読み返せる形にする

・ネットにおける情報発信者側の体験をする

慣れてきたら趣味の話なども少し入れていこうかなと思っています。

嫌なことを乗り越えること

「どうして自分だけこんな目にあわなきゃいけないんだ!どうしてあの人は同じことで悩まなくて済んでるんだ!ずるい!!」というような、非論理的でワガママな感情を静めるにはどうしたらいいのかな~と少し考えてみました。

結論はでてないので、わかったとこまで書きます。


先に述べたワガママな感情はとても体力気力を消費します。そして何も産みだしません。

そこで私が今までに試した方法は以下でした。

1 とにかく理詰めで自分に言い聞かせる!!

「どうして私だけ不幸!?。・゚(´□`)゚・。」
→『そんなことない。他の人だって表に出さないだけで不幸を経験してる。もっと視野を広くもとう。自分のことばかり考えすぎてるから辛いんだよ自業自得』
→「わかってるよ!」
→『わかってない!!!わかってたら嫉妬しないだろ!』
→「うるさい!!!」
→『』

「どうしてあの人は努力せずに軽々と問題を乗り越えてるのに私はいつまでもひっかかってるの!!」
→『人の努力してるところを見てないだけ』
→「わかってる」
→『』

こんな感じで理不尽な感情に一つ一つ理屈で返してちょっとずつ納豆していこうとしたのですが無理でした。

「言葉では分かってる」状態の自分には理屈は効かないようです。なんでわかってるのにできないんだ……ゲームならチュートリ理解したら二度とチュートリには戻らないのに……

2 時が経つのを待つ

自力で思考を変えるのが無理なら記憶が薄れるまでとにかく待とうと思いました。
成長すればいつか受け入れられるだろう……

これは理にかなっているようなのですが、少し工夫が必要だなと思いました。

私は忘れようと決意してから3ヶ月くらい我慢しましたが時が経てば経つほど嫌なことが頻繁に、細かく思い出されるようになり、痛みが増しました。
他人への嫉妬はより激しいものとなり、ストレスも増しました。

多分あと10年くらいすれば笑い飛ばせるようになるんだと思いますが、それまでのツナギが必要だなと思いました。

うまく表現できないのですが、いつか受け入れられるようになるまで、辛い出来事を思い出したときの痛みを緩和するような方法です。

それなしにひたすら過去の痛みに耐えて生きつづけるのは時間がもったいないような気がします。それに、「時が経てば経つほど忘れるどころか苦痛が増す」というのはよくあることらしいので、苦痛の増加は一時的なもの、と割りきることもできません。


じゃあ辛い出来事を十分に飲み込めるまで自分には何ができるのかなって考えると、健康でいることくらいしかできないんじゃないかな、と思っています。

1の方法のように自分の心にあれこれ干渉すれば余計こじらせるので心の分析とかはできません。


現段階では自分は無学なのでこのくらいしか書けませんが、これから学んでいくうちに何かもっとよさげな方法が見つかったらまた書きます。

それまではせいぜい病気しないようにしようと思います。

うるさい独り言

最近色々あっていじやけてたんですけど、もういじやけててもどうしようもないのでいじやけないことにしました!!

でも、いじやけないようにするのとても辛い!!!

いじやけないようにしなくて済んでる(ように見える)人が周りにいっぱいいて正直ずるいなって思います!!!

BUT!!HOWEVER!!!!

やっぱいじやけるの損だ!!!

いじやけるのもつらいし、いじやけないようにするのもつらいけど、前者は前に進めない!!

いじやけるような状況に陥ってる時点でつらいのにさらに我慢しなきゃいけないのマジ理不尽だけど!!!

我慢した先になんかあると信じて!!!!!

いじやけ禁止!!!!!!!!!!

幼稚な自分を自覚し育てること

「食べたら歯を磨こう」とか「遊んだらお片付け」とか「失敗して迷惑をかけたらごめんなさいして、次失敗しないようにしよう」のような、子供のうちに身につけて当たり前にできるようになっておくべきことが恥ずかしながら未だにできません。

たぶん、小さい頃は「納得できないけど、叱られるから仕方なく従って」いたんだと思います。

とくに「失敗したら謝罪より改善」は壊滅的にできなくて、かつて部活でめちゃくちゃ迷惑をかけてしまっていました。

先輩「どうしたらできると思う?」
私「すみません、私がもっとしっかり注意していれば……」
先輩「そうじゃなくて」
私「すみません」
先輩「だから謝るんじゃなくて……」

うわあああああ書くだけで恥ずかしいもうやだほんとごめんなさいまるで会話が成り立ってません。ワンコの方がよっぽどお利口さんですね。お手!

ここで求められていたのは謝罪ではなく具体的な改善策でした。が、それに気付いたのは部活やめてしばらく経ってからでした……orzこのころの私は失敗すると萎縮してしまい、さらに先輩や周りの方の意図が汲み取れず申し訳なくて余計萎縮するという悪循環にはまっていました。

「謝ってほしいんじゃなくて、どうしたら次失敗しないのか聞きたいんだよ」とバカの私にもわかるように噛み砕いて聞いてくださった方もいたのですが、私は改善策など思い付かず、黙りこんでしまいました。

今思うと「分かりません」でもなんでも良いから何か一言言えばよかった。「分からない」なら何が分かってないのか考えるなり、「分からない」ことを踏まえてじゃあどうしたらいいか考えるなり次のステップに進めたはずだからです。でも私は自分が悪いのだから分からないなどと言ってはいけないし自分でなんとかしないといけないと思っていました。

そして、結局なにも考えてないから同じ失敗を何度も何度も繰り返していました。

今は、失敗すると思考停止する癖を自覚し「すみません」はなるべく一回までと決めて、謝ったら気持ちを切り替えるようにしています。困ったらとにかく相談・質問する。自分が悪いのだから自分で、などと言い訳して抱え込まずに、やらかした自分に求められているのは改善のみと考え、改善のためにあの手この手を尽くす。

完璧に実行できているとはいえませんが、少なくとも以前のように同じ失敗を繰り返すことはなくなりました。


ネットやテレビを見ていると私と似たような人に対する批判をよく見かけます(私が意識しすぎてるせいかもですが)初めて見たときは「私だけじゃなかったんだ……!」とびっくりしました。

同じようなことでつまずいてる方、まじで一緒に頑張りましょう。もう子供ではないから、誰も育ててはくれません。幼稚さを受け入れて当たり前のことを当たり前にできるようになろう。

人の意見をなんでもかんでも聞かないようにすること

大学生になって、人の意見をなんでもかんでも聞かないようにすることで、逆に人の意見を大切にできるんじゃないかなと思うようになりました。


私は幼い頃から自分の意見に自信がなく、とにかく人の意見を鵜呑みにして生きてきました。親の言ったことや、友達の言ったこと、ネットに書いてあること、本に書いてあることなど。とくに私は学校の成績が悪く、授業中先生の言ったことに関しては熱心にノートの余白にメモをとり、そのとおりに実行できなければ自分を責めました。成績が悪いのは先生の言う通りにできないからだ、せめてやる気(?)を示さなければ、やる気はあるのにどうしてできないんだ、と思っていたのです。

転機は大学受験でした。受験に失敗したことで、そうして自分で考えることから逃げ回る体力気力を無くし、もはや人の意見を鵜呑みにできなくなりました。最初はとても不安で、焦りました。人の意見を聞けなければ私は自分勝手に行動してしまうかもしれない。自分の考えなんか間違ってるに決まってる。あり得ないことをしでかしてしまうかもしれない。空っぽになってしまうかもしれない。なのにもう親や先生や友だちの言うことにいちいち集中できなくなってしまいました。

でも、鵜呑みにできなくなったことで、話を聞く態度に以下2つの変化があったように思います。

1 「これは本当に聞くべき意見か?」と考えられるようになった。
考えられるようになったというか考えないと昔からの癖ですべての意見を聞こうとして破綻するので考えざるをえなくなりました。

2 聞く意見が減ったぶん、実行できる確率が上がった。

大学生になるまでは、「言われたことをとにかく受け入れて、実行できなくても実行しようとすること」こそが「人の意見を大切にする」ということだと思い込んでいました。ですが大学生になり、人の意見を取捨選択し、実行できそうなものから実行していくようになり、実際高校時代以前よりずっと幸せな生活を送れるようになって「できることから確実にやる」ことのほうが正しいのではないかなと考えるようになりました。


文章が下手な上にブログ初心者でどこまで具体的な内容を書いても大丈夫なのか手探りなこともあり、まだまだ不完全燃焼なので今後も少しずつこのテーマのことを書いていこうかなと思っています。




ソリティアむずい。